2016/01/14

雑記

SNSって情報を得るにはすごく便利なものだけど、それはまあいろんな人がいるし面倒くさい絡みをされることも少なからずある。

面白いなとか素敵だなとか凄いなとか、単純に尊敬や憧れや親しみを感じたり、刺激を受けたりする人ももちろんたくさんいるわけだけど、中にはこいつ野暮なやつだなとか、薄っぺらいやつだなとか、痛いやつだなとか、不愉快なやつだなとか思ってしまうことも往々にしてあるわけだ。

自分も反対に誰かからそう思われていることだってあるはずだろう。
実際にわたしも過去に洗礼を受けたことがある。
以前にブログ経由で他の人からは絶対に分からない方法で嫌がらせ的なことを受けたこともあった。

自分の常識が人の常識とは限らないし、もちろん自分の考えが絶対的に正しいものだとは限らない。
みんなそれぞれの主義主張持論があって当たり前だと思う。
当たり前のことだし、SNSやネットの世界ってそういうものだとも思う。
そう。当たり前のことなのだけど、自分のことを自分の実生活で大して関わりのない相手から批判された時って素直に心からそう思えることはなかなか難しいことでもある。
お前はわたしの何を知っているのか!と。

これは最近よく考えることなのだけど、同じ種のことを言っていても、案外スッと腹に落ちてくるものがある言葉と、どこか不快なものが纏わりつく言葉。
その違いは何なのか。
その人の人柄や言葉や文面から滲み出る隠しきれない本性や雰囲気もあるだろう。
言葉足らずで発生する誤解だってあるだろう。
とにかく、説得力のなさに押し付けがましさの上塗りの主張ほど無粋なものはない。
それだけは自分自身はなるべく気をつけようと最近はよく思ってしまう。
裸の王様はご勘弁。
これはなにもSNSに限ったことではなくて実世界でも通じることだけど。

家族友達自分が認めている知人からの叱咤激励なら受け止めようもあるが、大して自分のことを知りもしない相手からの誹謗中傷にネガティヴ発言は、相手にしないに越したことはない。
相手にしなければ意味をなさないのだから。
過剰に反応せずに自分はこうはなりたくないなというサンプルだと思えば、それはそれでなかなか良い勉強になる。

ネガティヴには関わらぬ。
因果応報。
これ宇宙の法則。

いろんな情報集めよう。
そして人の振り見てわが振り直そう。
それって案外SNSの良い活用法なのかもしれない。